Thursday, January 11, 2007

世界の再構成

世界を普通に生きるなら、何を望むだろうか。
普通に死にいけるなら、生に何を拘るのだろうか。

ただ平穏に、希望が少しでも叶うように。
差別され平等に生きれないものはそう願う。

富を、権力を。得たものは何を望むだろうか。
われわれには望むべきもないことを望むだろうか。

人生、上に一度立てば、自動で生きられる。
もし自動で生きられないのなら、それは上ではないということだ。

上にいる者たちによってわれわれは支配されている。
しかし、支配はわれわれに必要だろうか。

有能な者なら、世界は蓄積された知識によって平和を迎えているだろう。
有能な者なら、下に生きる者は平穏に生きることが出来るだろう。

学位を持つ者が有能ではない。
知的に活動できる者が有能ではない。

有史以来、多くの時を重ねてきて無能な者をこれ以上生かすことは正しいとはいえないだろう。
私には力はない。正しいことなど何も出来る術はない。

しかし、もし世界が正しく生きる決意を表し始めたとき、私は自分の命をかけてでも世界を作り直す手伝いをしたいと思う。
人々が平和に幸せに生きる世界へ再構成したい。

それが私の中にある想いである。

Tuesday, January 02, 2007

新たな年の始まりは。

年が明けると、新たなことが始まると期待する。
しかし、人間が決めただけの区切りが代わっただけ。

それでも、何かを期待する。
少しでも良くなるように。

今年と呼ばれる時間のつながりはどのようなものになるのか。
それが楽しみではある。

すべての人が幸せになることはないだろう。
すべての人が不幸になることはあっても。

できるなら、すべての人が幸せになることを願う。
でも、人の幸せは不幸の積み重ねの上にできている。

愚かな政治家・権力者。
それがすべていなくならない限り、安堵のときはこないだろう。

素朴に、小さな幸せを得る。
それだけでも叶う世界になって欲しいと思う。

Thursday, December 21, 2006

腐った大人

社会は、階層的な組織構造である。
これは、当然であるし皆無意識にでも理解している。

しかし、人として有能な人間は少ない。
われわれが多く目にする大人たちは腐っている。

価値のある大人は目立たないからだ。
腐った者は往々にして権力を持ち、重要な場所にいることが多い。

それは、戦前・戦後と日本の社会をつくろうと勇んでいた時代の副産物。
有能な大人の子供もまた有能であるという虚像の成し得た世界。

権力を持つということは、それだけ責任を持たねばならない。
今は自分の人生を犠牲にする覚悟がない者が権力を持ちすぎている。

温かいぬるま湯に浸かり過ぎたわれわれには、本当の責任と権力が成り立つ世界では、もう生きていけないのかもしれない。
しかし、本来望まなければならない世界から時を重ねるごとに遠ざかることを知っておかなければならない。

もし、わたしに殺す力があるならば、すべての腐った者を殺すだろう。
そして、すべてが終わったとき死ぬ覚悟はある。

しかし、難しいかな人の世界は複雑になり過ぎた。
そして、殺すことだけでは終われなくなった。

人、個人から目覚めなければ本当の意味で腐った大人を殺すことはできないだろう。
本当に必要なのは、共に生きるという思想なのだから。

Thursday, December 14, 2006

幸せへの道

辛いときと幸せなときは、交互にやってくる。
どんなに幸せであっても、それは続くことはない。

もし、続くとしたら、それが最も幸せな時間なのだろう。
しかし、人がいつか死ぬように終わりは何事にもある。

死ななければ、永久に続くというわけでもない。
その時の、その自分自身でしかそれが幸せであると思えないから。

今生きる毎日を、どうすれば幸せにするかは自分にしかわからない。
人にもらった幸せはいつかなくなってしまう。

自分で幸せだと思う道を歩まなければ、道にならないのだから。


Saturday, December 09, 2006

守る者

世の中には、罪に問われるべきことが多い。
しかし、すべての罪は事後に対処される。

警察など無力で無能だということが、
犯罪に直面した被害者ならよく分かることだろう。

傷つけられた後。
なにかを失った後。

すべては事後処理。
事前に防ぐことができないのならば、警察などただの処理係ではないか。

威張り、強い者に弱く、権力で行動することしか知らない。
世の中には、事前において、すべてを守る力が必要なのだ。

それが出来ないのならば、世の中の一部の強い者を守る為に、今後も弱い者は犠牲になり続けていく。
変えたいと望む者が、多く集まれば、そうした世界も変化する。

毎日を、平和に、平凡に。
緩やかに生きていく。

人は死ぬために生きるのだから、生きる過程を守るように生きなければならない。
事後策しか持たない権力などに、人を守る力などないのだ。

望む者が多く生まれることを願う。

Sunday, December 03, 2006

死に向かう生

人は、いずれ死ぬ。
今はこの事実が変化することはない。

そのため、人は何かしら死への意識を持って生きている。
死ぬことの実感の強弱はあるけれども。

死にたいと言う人が、目に付くときがある。
ふと思う。

死にたいのなら、死ねば良いと。
だけれど、その前に生きることを考えて欲しい。

残された者達が背負う重荷についてや、あなた自身が抱えるものが
死ぬことでなくなるのか。

生きることは、たしかに難しい。
楽なことはない。

楽しくだけ生きるのなんて不可能だ。
だから、人はそれぞれに意味をもって生きる。

もちろん、行きながら死んでいる者はたくさんいる。
そんな者は、放っておけば良い。

自分のために、どう死ぬか。
考えながら、生きてみれば良い。

結局人生は、死への旅路だ。
生きるということは過程である。

将来、死ぬことがなくなったら変わるかもしれない。
でも、それが今は事実。

だからこそ、過程を楽しめ。
あなたが、もう少し踏みしめれば、今の場所から違う場所へ行けるのだから。

Tuesday, November 28, 2006

占い信者

良い日だと決めるのは誰か。
それは、自分である。

決して、自分以外の他人ではない。
自分が幸せかどうかを他人が知ることはあっても、決めることではないのだから。

しかし、占いを信じる者は少し違う。
良い日、悪い日を人に頼る。

重要な決定を人の決め事に頼ってしまう。
「今日は悪い日だから」と言ってしまう。

少し頭を使えば分かるはず。
悪い日だと仮定して、結果がそうであるならば何に気をつけろというのか。

「気をつければ大丈夫」
それは、つまり変化するということだろうか。

悪いことが起きれば、「あなたが悪い」「占いのとおりになった」と思ってしまう。
自分が弱いことを知らないで。

良いことも、悪いこともあって日々である。
誰かに決めてもらえたら楽だろうが、それで自分がまともかどうかよく考えないと。

自分で、自分のしたことを受け入れ、考え、次へ生きる。
それができないのならば、占いというリモコンに操られるだけ。

占いを否定はしない。
だが、確率論である以上、毎日を決めるのは自分だと良く考えることだ。

そうすることこそ、本当の幸せを理解できる。
大事なことを知ることが出来る。
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